2008-04-26

無いと、もっと在る。

自分は、時に、写真を撮ってアートを作ったり、自分というアイデンティティーを題材としてアートを作ったりする。けれど自分を材料に他人によってアートが作られたのは初めて。ギャラリーのプライベートディナーに呼ばれたので行ってみたけれど、実は思ったより恥ずかしい様な感覚に見舞われなかった。それは多分、他人が撮った、自分が写っていてカメラ目線ではない写真をあまり見た事が無いから、なんだか見ている内にどんどん写真の中の自分が、他人みたいに見えて来た。というか、あれを見た赤の他人もまた、同じ様に、写真に写った私を見て、実際の私とは全く違った赤の他人として勝手に解釈している事に気づいた。それはreal lifeで実際に人が他人を解釈する時と同じだけど、自分が第三者になって自分のイメージが勝手に作られる所を目の当たりにしたことはあまり無いから、ちょっと妙な気分だったな。
写真は慎重に切り刻んであって、様々なパターンが、そのネガティブスペース/除外された空間によって存在しているんだけど、人のイメージとか解釈とか理解とかって、結局そんな物なのかもしれない。切り取られて無くなった、見えない部分は、見えていて外の表面だけをなぞっている部分より、逆に存在感が有ったりする。つまり、見えてない所が、その人/モノ/事のイメージだったりすることって、多いんじゃないかな?と、思った。


Sandroni Rey Gallery
Opening Reception May 3, 2008 from 6.00 to 8.00 pm
2762 S. La Cienega Blvd
Los Angeles, CA 90034
T 310.280.0111

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